第8回原水禁世界大会 1962,8,6
ライシャワーの分裂政策によって、大きな障害が出たものに原水禁運動がある。
もともと「原水爆禁止日本協議会」の運動は支持政党に関係なく、世界平和と反核の願いの1点で結集することになっていたが、前年9月に行われたソ連の核実験に対して、社共の「見解の相違」がそのまま会の分裂状態に影響していた。その後、会からは社会党系は正式に離れていく。
日韓会談 1962,8,21
戦後独立を回復した朝鮮だったが、分割統治から南北に分裂、朝鮮戦争を経て朝鮮民主主義人民共和国と、アメリカかいらいの大韓民国の2政府になっていた。
日本政府は、軍事ブロックと対米従属の関係から大韓民国との国交正常化を目指した。この当時は「ひとつの朝鮮」をめざしていたので、南北両政府は対立し、アメリカは大韓民国の元に統一し、同国だけをコリアとしたい意向があった。対日財産請求権問題や、在日「韓国」人の処遇問題、漁業問題等をクリアした後、正式に国交正常化を目指した。
全国総合開発計画決定 1962,10,5
国土をより安全で効率的に利用しようとする計画。都市の過密化や地域格差が重要なテーマで、「拠点開発方式による人口と産業の分離」を計画した。
この8年後には、「高度経済成長」中の新しい「全国総合開発計画」が策定された。
LT貿易 1962,11,29
自由民主党の高崎達之助と、中国A・A連帯委員会首席の 承志との間で、「日中総合貿易に関する覚え書き」が調印された。内容は、翌63年から5年の間、年間輸出入総額が3600万イギリス・ポンドとなっている。
日本は鋼材や化学肥料、農業機械等を輸出し、中国は石炭や鉄鋼石、大豆、とうもろこし等となっている。
こうした日中貿易を続ける中で、正式な国交正常化を両国政府は狙っていた。
2010-09-10 00:22
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