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日米安保条約反対運動 [戦後史]

「声なき声」の記者会見 1960,5,28

大がかりな日米安保条約反対闘争の中で、6月4日には安保闘争で初めて労働者階級のゼネストも行われた。

民主社会党や全労など右翼社民主義の勢力は「赤色革命」と反対したが、労働者の確固たる意識は、ストを成功に導いた。そんな中で岸信介首相は「今屈したら、日本は非常に危険な状態に陥る。反対運動をする者もいれば、野球観戦をする者もいるではないか。私は『声なき声』にも耳を傾けねばならないと思う。今聞こえてくるのは『声ある声』だけだ」と内閣記者団に語った。

ハガチー事件 1960,6,10

アイゼンハワー訪日の打ち合わせで羽田についたハガチーだったが、到着からいきなり安保反対の隊列にぶつかり、やむを得ずヘリコプターでアメリカ大使館へ。帰りは立川基地から逃げるように帰国した。

この出来事をマスコミは「国際信用の失墜」と書き立て、国民を戒めた。「国際」を世界平和でなく、日米軍事
同盟の側からとらえた「戒め」だった。

このできごとから、結局政府はアイゼンハワーの訪日延期を決定。それにかわって沖縄入りをした大統領だったが、ここでも沖縄県民の反対デモにあって予定より早く帰国。他国の言いなりになるのではなく、キッパリと抗議闘争を組織した日本国民の勝利だった。

樺美智子事件 1960,6,15

この日、全学連7千名と警官隊は国会内で乱闘し、警官隊は放水と催涙弾による攻撃を行った。そのどさくさの中で東大文学部の樺美智子が圧死した。死因は腹と胸を押しつぶされてのものだった。初めての死者は、大きな衝撃を与えた。
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