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小選挙区制法案 [戦後史]

小選挙区制法案 1956.4,30

導入当初から様々な問題が指摘され、また現在も不満が止まない小選挙区制。

それを戦後史上、最初に提案したのは鳩山一郎だった。

小選挙区法案は、1選挙区ごとに1人の当選者を選ぶ選挙制度の総称である。したがって第一党に有利で、全ての野党勢力を少数に陥れる選挙法案だった。

中でも区割りが自党に有利に作られたため、当時はゲリマンダーをもじってハトマンダーとまで言われた。この時は日本社会党の反対と、マスコミの反対の論陣が世論を盛り上げて廃案に追い込んだ。

94年に「並立制」が導入された際のマスコミの態度とはそこが決定的に違った。

94年に導入され、現在も採用されている小選挙区比例代表並立制は二大政党制を目指すことになっていたが、実際には、第三党以下との連立なしには政権が維持できない場合ばかりで、大連立などという話もしばしば登場する。そうなると、もともと制度で大量に死票を作り得票率以上に議席を集中させるという民意との乖離を作った上に、さらに本来異なる立場である政党同士の連立によって、ますます民意とは異なる政権が誕生することになる。何より、これでは「二大政党制」という大義自体が否定される。

そんなところから、現在も中選挙区制復活や、比例代表制導入などの意見もある。

この間、1956 年に第3次鳩山内閣が単純小選挙区制を、1973年に第2次田中角栄内閣が小選挙区比例代表並立制をそれぞれ衆議院に導入しようという計画を立てたが、大政党に有利である、選挙区の区割りがいびつであり恣意的である、などと批判された。特に区割りに関しては、1810年代のアメリカにおける事例、マサチューセッツ州知事エルブリッジ・ゲリーがサラマンダーの形をした自党に有利な選挙区をつくりゲリマンダーと呼ばれた故事をもじって、ハトマンダー(第3次鳩山内閣)・カクマンダー(第2次田中角栄内閣)と揶揄された。このような批判と、政権自体の求心力の低下により、両内閣とも導入を断念した(wikiより)

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