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吉田内閣総辞職から鳩山内閣誕生まで [戦後史]

◆1954/12/07 吉田内閣総辞職

すでに6年以上首相をつとめ、行政手腕が党内外から問われていた吉田茂は、反吉田の新党結成の中で窮地に立たされていた。11月28日、自由党両院議員総会は
  1. 吉田の勇退
  2. 緒方竹虎の総裁就任
  3. 同時解党
  4. 総裁公選による保守合同を提案(日本民主党はこれを拒否)

する。

そんな中で12月6日、日本民主党と左右両派社会党は内閣不信任案を提出。吉田は当初「解散して信を問う」としていたが、党内の大勢が解散反対に回っていたので、解散ではなくついに総辞職に至った。

吉田内閣は、野党の不信任案の理由にもある通り「占領政治の継承」「秘密外交」「造船疑獄のような汚職介入」といった「業績」を残してきた。

しかし、それでも長期政権についていたのは、外交官出身を利用した占領軍高官とのパイプだった。その意味でアメリカの路線にきわめて忠実な首相だったといえるだろう。

◆1954/12/10 第1次鳩山内閣成立

「憲政の常道」から、吉田内閣の後を受けて首班指名されたのは、野党第1党の日本民主党・鳩山一郎だった。

宿敵吉田茂に代わる待望の宰相の座についた鳩山一郎は衆議院124名の単独政権だったが、吉田の対米従属的な政策を批判することによって、反吉田の野党や国民の支持を得ようとした。

公約は日ソ、日中の国交回復だった。それは両大国との関係を修復して国連に加盟することにあった。そして何よりも、公職復帰以後重ねて訴え続けてきた憲法改正のプログラムを実現することにあった。   
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